詩を読む

先週、とても身近な友人と
大喧嘩をしてしまいました

私は基本的に
宗教も政治も食生活も
自分の考え方だけが正しいのではなく
自分の意見と違う考え方をする
原点はどこからきたのかなど
相手の事を理解したい

理解不可解な場合でも
同意するわけではなくとも
そんな考え方もあるのかと
見解を広める努力が大事だと思うのです

「でもいい加減そんな考えはナイーブすぎるよ」

相手が心身疲れ果てていて
ギリギリのところで繋がっているのは
頭でわかっていたものの
信頼していた大切な存在の人に
自分の全てを否定されてしまったようで
とても悲しく苦しく
この言葉をきっかけに
悲しいエネルギーを怒りに変えて
発散してしまったのです

相手のエネルギーに合わせてはいけない

そう何度も理解していたつもりだったのに、、
結局は実行に移せませんでした

数日が経ち頭の整理をして
自分の気持ちを伝えるために
電話をしたのですがメッセージ行きです

「無視するほど未熟なんだったら勝手にさようなら」

エゴはそう叫んでいるけど
実際は今は電話に出る
心の余裕がないのかもしれないけど
落ち着いたらまた連絡してきて欲しいな
そう思わずにはいられません

他人の非力を批判してはいけない
理解を深める努力をする

喧嘩の発端となった考え方を
私は諦めない 
自分を失いたくない
そう強く想います

それでも一週間近く音信不通な今
果たしてまたいろんな事を
心置きなく語れる存在に戻れるのだろうか
不安な気持ちが表れない事もありません

今雨雲の下にいるけどこの先にある
晴れの間を一緒に見られるのか
それとも雨と共にバラバラな方向へ
流されてしまってもう会えないのか

どちらに転ぶとしても受け入れるから
今教えて欲しいと願ってしまうのが
未来を生き急いで今を忘れてしまっていると
思い出さされます

望むのは小説のようにスッキリと
完結してくれる話でありながらも
人生は詩のように未完成のようで
筆者の込めた意味はなんだったんだろう??
この様に不可解な事さえそのまま
受けいられる事が必要なのだと
考えさせられているところです

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