同じ空を見上げて

本日は今アメリカで起きている
人種問題・デモ・暴動によって
感じている事を綴っていこうと思います

海外に住んでいると人種問題は避けられない
そう思われるかもしれません

しかしながら
私は正直なところ在米20年の間
人種問題を無視して生活してきたのではないかと
ここ数日考え直すようになりました

これまでホテルやレストランの裏方で働く身として
いろんな人種や経歴の方と交わり
一人・一人の人間として
対等に尊敬を表し接する事を努めていく事で
自分は個人的に差別をしていないと
信じていたからです

もちろん、それはむしろ「当たり前」であって
それだけでは「充分ではなかった」
そのように今は感じています

職場では仲良くしていても
「ここは治安が悪い地域だから」
そのようにラベルをつけて避ける場所に
彼らが住んでいる事を知らぬふりをしていました

私には関係ない どうしようもない
そう誤魔化していました

そして私は自分がどれくらい恵まれた環境で
生活しているのかを理解できていなかったようです

テキサスの小さな町で住んでいた際
私以外100%白人であった経験もありますが
前夫が南米人ながらも肌の色素が薄く白人に見えたためか
日本人であるというだけで差別を受ける事は
一度もありませんでした

独り身になった今でも
道を歩いているだけで
すれ違う前に避けれられる事もなければ
警察は市民の味方であると安心している事

「警察に止められたら両手をあげて
『私の名前は○○で武器は持っていません』と
聞こえるようにはっきり言いなさい」

このような教育を子供にしなければいけない
家庭が存在する事すら想像さえできず無知でいた事

この他にもキリのないほど
私が「普通」と思っている生活が
毎日を心安らかに過ごせる事すら
ある種の特権であるという事

今までの自分さえ差別しなければ
人種問題には加担していないという思い込みは
今・真実に目を向けるようになって
間違っていたと認めなくてはいけない

同じ人間として生まれてきたのに
肌の色が違う理由だけで
人権・命を奪われている人々に対して
手を差しのばす事のできる人間になりたいと
この事件をきっかけに
そう、強く想うようになっています




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